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神奈川県横浜市の法律事務所

弁護士津留崎基行(横浜弁護士会)
2005年10月1日

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会社役員賠償責任保険(D&O保険)
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第2章 保険金の支払要件
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第2章 保険金の支払要件
第1節 概観

現在わが国で一般的に利用されているD&O保険における普通保険約款である会社役員賠償責任保険普通保険約款(以下,「普通約款」とは,特に断りのない限りこの約款を指すものとする)第1条は次のとおり規定している。

(当会社のてん補責任)
第1条 当会社は,被保険者が会社の役員としての業務につき行った行為(不作為を含みます。以下「行為」といいます。)に起因して保険期間中に被保険者に対して損害賠償請求がなされたことにより,被保険者が被る損害(以下「損害」といいます。)を,この約款に従って,てん補します。

本条は,保険会社の保険金支払義務が発生するための要件を定める中核的な条文である。
本条に用いられている「被保険者」,「会社」,「役員」,「保険期間」,「損害」の用語についてはその内容を定める規定が別途置かれている。以下,本条で規定されている各要素につき順次説明する。

第2節 被保険者

普通約款第1条によれば,「被保険者」が行った行為に起因して,「被保険者」に対して損害賠償請求がなされたことによって,「被保険者」が損害を被ることが保険金支払のための要件の1つとなる。普通約款3条3号は被保険者につき次の通り規定している。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(3) 被保険者
会社のすべての役員をいい,既に退任している役員およびこの保険契約の保険期間中に新たに選任された役員を含みます。ただし,初年度契約の保険期間の開始日より前に退任した役員を除きます。
また,役員が死亡した場合にはその者とその相続人または相続財産法人を,役員が破産した場合にはその者とその破産管財人を同一の被保険者とみなします。

被保険者は「会社」のすべての役員である。会社そのものは被保険者ではない。
よって,被保険者である会社役員と共に会社が損害賠償請求を求められた場合であっても,会社自身が被る損害はD&O保険における保険金支払対象外である。
なお,「会社」は普通約款第3条第1号の規定に基づき保険証券上特定される。
D&O保険は,その被保険者を定めるにあたっては,個々人を特定してこれを被保険者と指定する方式ではなく,会社を特定した上でその会社の役員であれば無記名で包括的に被保険者として取り扱うという方式を採用している。
したがって,保険期間中に会社が新しい役員を選任すれば保険会社との間で何らの手続を要することもなく自動的にこの者は被保険者として取り扱われることになる。
このような取扱いに際して追加保険料を支払うことも要しない。
また,会社役員は退任後であっても在任中の行為に起因して損害賠償請求を受ける可能性がある。
また,死亡した場合にはその相続人が,破産した場合にはその破産管財人が損害賠償請求を受ける可能性がある。
このように,会社役員につき退任,死亡,破産という事由が生じても損害賠償請求を受けるリスクは継続することから,これらの事由があっても当該退任した会社役員又は当該会社役員の責任を実質的に承継する者が引き続き被保険者として取り扱われることになっている。
ただし,初年度契約の保険期間の開始日前に退任した役員は被保険者の範囲から除外されている。
D&O保険の保険期間は原則として1年であり,1年の保険契約が終了した後も間断なく次年度のD&O保険が締結されることによって保険契約が将来にわたって継続されることを前提としているが,D&O保険では最初に締結されたD&O保険契約すなわち初年度契約の保険始期よりも前に生じた出来事に由来する損害については徹底して保険金の支払対象から除外するという考えの下に保険設計されている。
よって,初年度契約の保険始期よりも前に退任した会社役員の行為について保険金が支払われる余地はないからこの者は被保険者から除外されているのである。

第3節 会社

D&O保険の被保険者は「会社」のすべての役員であるから(普通約款3条3号),会社を定義するということは被保険者の範囲を定めるという意味を有する。
普通約款3条1号は会社につき次の通り規定している。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。
(1) 会社
次に掲げるものをいいます。
[1] 保険証券の記名法人欄に記載された法人(以下「記名法人」といいます。)
[2] 記名法人の子会社の中で,保険証券の記名子会社欄に記載された法人(以下「記名子会社」といいます。)
… 

本号によれば,会社とは記名法人及び記名子会社を意味することになるから,記名法人の役員及び記名子会社の役員がD&O保険の被保険者となる。

第1款 記名法人

「会社」には記名法人と記名子会社の2種類があることになるが,記名法人はD&O保険の必須要素であり保険証券に明記されることで特定される。
通常は記名法人と保険契約者は一致する(※ まれに記名法人の役員団が保険契約者となるケースもある)。
約款上は記名法人の数が1社でなければならないという明確な限定はないが,「会社」には記名法人の他にその子会社の中から記名子会社を追加することができるという約款の規定自体が,記名法人の子会社に限って記名法人と同時にD&O保険となしうるという意味を包含しており,子会社でもない別の会社を記名法人に追加して記名法人を複数とすることはできない。

1 記名法人となりうる法人の種類

記名法人として想定されているのが主として株式会社であることは言うまでもない。
しかし,記名法人となりうるのは株式会社だけとは限らず,法人の役員が株式会社における役員と同等のリスクを負担する法人についてはD&O保険の記名法人となりうるものがある。
例えば,生命保険相互会社や信用金庫においては,株式会社の場合と同様に,社員による代表訴訟によって法人役員の責任を追及する手段が法的に認められており(保険業法第51条,信用金庫法第39条),株式会社の会社役員と同様のリスクを負担している。
よって,生命保険相互会社や信用金庫を記名法人とするD&O保険は可能であり実際に存在する。
ただし,株式会社以外の法人は,それに対する法的規制が株式会社と全く同一とは言えず,株式会社と同等であると評価するかどうかについてはD&O保険を引き受ける保険会社ごとに判断が分かれうること,株式会社以外の法人を記名法人とするためには,適用すべき保険約款について用語の読替規定を盛り込む等特段の配慮をする必要があることなど,株式会社以外の法人を記名法人として取り扱うことについてはイレギュラーな側面があるため,いかなる種類の法人を記名法人となしうるものとするかについては保険会社ごとに取り扱いが異なる可能性がある。
有限会社については株式会社と類似の構造を有していることから,D&O保険の記名法人として取り扱うことも理屈上は可能と考えられるが,もともと有限会社は小規模閉鎖会社を念頭に置いた会社組織であるから,実需の観点からはD&O保険にはなじみにくく,有限会社を記名法人とするD&O保険は実務上見受けられない。

2 記名法人となりうる法人の規模

D&O保険の主要ターゲットは上場企業を中心とした株式を公開している大企業である。
しかし,株式を公開していない小規模な会社であっても,D&Oリスクがないとは言えず,D&O保険により保険金が支払われる余地もあることから,小規模な会社であってもD&O保険に加入することは一応可能である。
ただ,保険会社の側は記名法人が法を遵守し適正に経営されているのでなければリスク不良としてD&O保険の引受を謝絶するから,株主総会の開催,議事録の作成等商法の規定に従った会社経営が必ずしも実現されていない多くの中小零細企業が記名法人としてD&O保険に加入しようとしても保険会社は引受を拒否する可能性が高い。
また,記名法人の規模がどんなに小さいものであったとしても,D&O保険の保険料は安くても年間数十万円程度の水準を下回ることはありえないのが一般的傾向であるし,この保険料水準との比較において,このような小規模な会社においてD&O保険で保険金が支払われるような事故が発生する可能性はかなり低いと考えられるから,一般的には小規模な会社にとってD&O保険はコスト的にあまり見合わないと考えられる。
実際に,わが国の上場企業については7〜8割の会社がD&O保険に加入しているのではないかと言われているが,上場していない会社でD&O保険に独自に加入している会社は極めて少ない(※ 後述する記名子会社となっている場合を除く)。
世間での知名度も高い大企業の中には,まれに株式を公開していない会社もあるが,このような会社もD&O保険に加入しうる。
このような会社の場合,株主のほとんどが創業者一族等の大株主であるなどの理由により,株主代表訴訟に起因するD&O保険の発動がほとんど考えられないケースもあるが(※ 大株主からの損害賠償請求はD&O保険では免責とされている(普通約款6条10号)),D&O保険は株主代表訴訟のみを担保するものではなく,株主以外の第三者が会社役員に対して損害賠償を請求した場合も保険の対象としているから,株主代表訴訟のリスクが小さくてもD&O保険のニーズがないとは言えない。

第2款 記名子会社

D&O保険が主要ターゲットとしている大規模株式会社の中には,子会社を保有するものも珍しくない。
そして,親会社を頂点として子会社を含めた企業グループを形成し,そのグループ内で役員人事交流がなされているケースもよく見受けられる。
このような場合に,子会社の役員も親会社の役員とまとめて1つのD&O保険の被保険者とすることができれば便宜である。
そこで,D&O保険では,記名法人の子会社の中で,保険証券の記名子会社欄に記載された法人を記名子会社とし,この記名子会社も「会社」に含めることとしている(普通約款3条1号[2])。
すなわち,記名子会社の役員もD&O保険の被保険者として取扱われるということである。
記名子会社に指定しうるのは当然のことながら子会社だけであり,子会社ではない関連会社等を記名子会社に指定することはできない。
「子会社」の意義については,普通約款3条7号により次のとおり規定されている。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(7) 子会社
直接であるとまたは他の子会社を通して間接であるとを問わず,記名法人が発行済株式(議決のない株式を除きます。)総数の50パーセントを超える株式を所有している,または所有していた法人をいいます。

商法上は,親会社に総株主の議決権の過半数を保有されている株式会社又は総社員の議決の過半数を保有されている有限会社を子会社というものとされ(商法第211条の2第1項),他の子会社を通じた議決権の間接保有の場合も同様とされているから(同第3項),D&O保険における子会社は商法上の子会社とほぼ同等の定義付けがなされているが,商法上の子会社が株式会社又は有限会社とされているのに対し,D&O保険では単に「法人」とされている。
また,「所有している,または所有していた」とあるから,現在50%超の株式を所有していなくても,かつて所有していた会社は依然として子会社として取り扱われる。
D&O保険では日本国内の子会社に限らず海外所在の子会社も記名子会社となしうる。
よって,現地法に準拠して設立された法人も記名法人の子会社である限り記名子会社とすることができる。
ただし,D&O保険の性質上,わが国の株式会社と同様の構造を有する法人であることは必要であると解される。
なお,子会社を含めるか否かは基本的に保険契約者が自由に選択することができるが,海外子会社については,現地付保規制(※わが国で保険業を営もうとする者がわが国の保険業法に基づく規制に服しなければならないのと同様に,外国において保険業を営むにあたっては当該外国法による規制を受けるということ)との抵触の可能性を考慮して,海外子会社を記名子会社と指定してのD&O保険の引受をあまり積極的に行わないという姿勢を示す保険会社もあるようである。
有限会社については記名法人の項で述べた通り,そもそもD&O保険の対象企業としてはなじみにくい側面があるから,有限会社を記名子会社とするD&O保険は実務上ほとんど見受けられない。

1 子会社単位の自由選択

記名子会社はD&O保険の必須要素ではないから,記名法人が子会社を保有していてもこれをD&O保険の記名子会社に指定しないことも可能である。
「会社」に記名子会社を含めるか否かは保険契約締結時に保険契約者と保険会社との間の合意に基づいて定められる事項であるが,子会社を含める場合と含めない場合とで保険会社の引受姿勢が極端に変わるものではなく,通常は子会社を含めた場合にはその分保険料が高くなるという程度の相違が生じるに過ぎないから,子会社を含めるか否かは保険料との兼ね合いで保険契約者が自由に選択することができるのが普通である。
ただし,海外所在の現地子会社については保険会社によってはこれを記名子会社に含める取扱いをしたがらないケースがある点につき前述した。
記名法人が複数の子会社を有している場合に,保険契約者の選択によりそのうち一部の会社のみを記名子会社に指定し,その余の子会社については記名子会社には指定しないということも可能である。
つまり,子会社の役員については子会社単位で任意に選択して被保険者に追加することができるということである。
ただし,選択単位はあくまでも会社単位であり,記名子会社に指定した会社についてはその役員が無記名包括的に被保険者となる。
D&O保険の実務上,記名法人の全ての子会社を記名子会社として指定している契約もあれば,一部の子会社のみを記名子会社として指定している契約もある。
また,記名法人が多くの子会社を保有しているにもかかわらず全く記名子会社を指定していない契約もある。
記名法人の子会社を全て記名子会社として指定する場合であっても,保険証券の記名子会社欄に「記名法人の全ての子会社」というような記載をして無記名包括方式とする取り扱いは実務上認められていない。
記名子会社は全て個別具体的会社名をもって特定され,保険証券の記名子会社欄に明記される(※ 記名子会社欄に書ききれないほど多数である場合は記名子会社欄に「別紙明細書の通り」と記載して記名子会社を一覧表の形で表記した明細書が保険証券に添付される取り扱いとなる)。
よって,D&O保険契約の締結時に全ての子会社を記名子会社として指定していた場合であっても,保険期間の中途で記名法人が新たな子会社を取得した場合,この子会社の役員はそのままではD&O保険の被保険者とはならない。
この子会社の役員を被保険者に追加しようとする場合は,保険会社との間で当該子会社も記名子会社に追加する旨の契約内容変更手続を行う必要がある。
この点,保険期間中途での新任役員が自動的に被保険者とされる取り扱いとは異なるため注意が必要である。

2 記名子会社となるか独自にD&O保険契約をするか

他の会社の子会社となっている会社であっても,自社が記名法人となり単独でD&O保険を契約することは可能である。
よって,このような会社についてD&O保険を手配する方法としては,[1]親会社のD&O保険契約において当該会社を記名子会社に指定する方法と,[2]当該会社が自ら記名法人となり単独でD&O保険を契約する方法の2通りの方法があることになる。
説明の便宜上,[1]を記名子会社方式,[2]を独自加入方式と呼ぶことにする。
記名子会社方式と独自加入方式の最大の違いはてん補限度額の適用方法と保険料である。
てん補限度額とは保険契約に基づき保険会社から支払われる保険金の限度額を言い,保険契約締結時に予め定められる。
D&O保険におけるてん補限度額の取り扱いについては後に詳述するが,D&O保険のてん補限度額は当該契約に基づいて支払われる保険金の総限度額として定められる。
すなわち,当該保険契約に基づいて保険金が支払われるべき保険事故が複数回発生したとしても,支払われる保険金はすべて合算しててん補限度額が限度となる。
よって,記名子会社方式の場合,同一の保険契約において,記名法人の役員についての保険事故と記名子会社の役員についての保険事故が発生するケースや,ある記名子会社の役員についての保険事故と別の記名子会社の役員についての保険事故が発生するケースなど,同一の保険契約に基づいて保険金が支払われるべき保険事故が複数の会社について発生するケースが考えられるが,いかなるケースであれ,支払われる保険金は全て合算して当該D&O保険契約の締結時に定められたてん補限度額が限度となる。
いわば,D&O保険契約のてん補限度額を,複数の会社の役員全員が共有しているということになる。これを記名子会社の役員個人の立場から見ると,別の会社の役員について発生した保険事故に伴う保険金支払いによって,自己について支払われるべき保険金の支払限度額が減少してしまうことを意味する。
これに対して,独自加入方式の場合,別の会社の役員について生じた保険事故によって自社の役員について適用されるべきてん補限度額が減少するということがない。したがって,てん補限度額の適用方法という側面から見ると,独自加入方式の方が有利である。
次に,保険料負担という側面から見ると,独自加入方式よりも記名子会社方式の方が圧倒的に有利である。
双方の保険料水準がどの程度異なるかはケースによって大きく異なるが,一般的な目安として,当該子会社にとって,記名子会社方式とすれば,独自加入方式の場合と比較して10分の1程度の保険料負担で済むのが普通である。
このように記名子会社方式には保険料負担の側面において大きなメリットがあることから,D&O保険実務上,グループ企業中の子会社が独自にD&O保険契約を締結している例はほとんど見受けられないが,グループ企業中の親会社が契約したD&O保険契約において数多くの子会社が記名子会社に指定されている例は多い。

3 法律上の子会社でなくなった場合

普通約款3条7号に規定される子会社の定義において,「所有している,または所有していた」とあるから,現在50%超の株式を所有していなくても,かつて所有していた会社は依然として子会社として取り扱われる。
従って,例えば,D&O保険の保険期間の中途で,記名法人が記名子会社の株式を他者に全て譲渡した結果,法律上はこの記名子会社が法律上の子会社ではなくなったとしても,この会社はD&O保険契約上は依然として記名子会社として取扱われ,この会社の役員は被保険者であり続けることになる。
ただし,記名子会社に指定された会社の役員が,継続して被保険者として取り扱われるためには,当該会社が法律上の子会社でなくなった後も継続して記名子会社として保険証券に明記される必要がある。
法律上の子会社でなくなったからといって,記名子会社として指定することを失念すると,その役員は被保険者ではないことになり,当該役員が損害賠償請求を受けた場合が保険金支払対象外となってしまう。
なお,法律上の子会社でなくなった後もその会社を記名子会社に指定することができるといっても,D&O保険の対象となるのは当該会社が法律上の子会社であった時になされた役員の行為のみであり,法律上の子会社でなくなった後になされた当該会社の役員の行為については保険金支払の対象外とされている(普通約款6条8号)。

第4節 役員

D&O保険の被保険者は会社のすべての「役員」であるが(普通約款3条3号),普通約款3条2号は役員を次の通り定義している。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(2) 役員
商法上の取締役および監査役,ならびにこれらに準ずる者として保険証券の被保険者欄に記載された地位にある者をいいます。

この規定により,取締役及び監査役は当然に被保険者とされる。
また,「これらに準ずる者として保険証券の被保険者欄に記載された地位」にある者も「役員」としてD&O保険の被保険者として取扱われる。
典型例として想定されているのは,米国に所在する子会社におけるofficerであり,当該会社を記名子会社として指定する際に,保険証券の被保険者欄に「officer」と記載することによりofficerの地位にある者がD&O保険契約上役員として取り扱われることになる。
問題になるのは,典型例として想定されているofficer以外に,どのような地位が取締役・監査役に準ずると言い得るかであり,以下実務上問題となりうる地位ごとにその取り扱いについて述べることとする。
なお,「これらに準ずる者として保険証券の被保険者欄に記載された地位」という規定によって,取締役・監査役以外の者を被保険者に追加することができる訳であるが,追加の単位は「地位」単位であり,当該地位が保険証券に記載された場合には,当該地位にある者は無記名・包括的に役員として取扱われることになる。
すなわち,特定の個人を役員に指定するという「個人」単位の追加はできない(※ このように,「地位」単位で取締役・監査役に準ずるかどうかを判断して追加しうるという取扱いからすれば,約款文言としては現行約款文言であるところの「準ずる者として」とするより「準ずるものとして」とする方が自然であるように思える)。

第1款 委員会等設置会社における執行役

D&O保険における普通保険約款として現在用いられている会社役員賠償責任保険普通保険約款は,平成14年5月の商法改正によって商法に委員会等設置会社(商法特例法1条の2第3項等)の規定が盛り込まれる前に開発されたものであり,委員会等設置会社に対応していないことから,委員会等設置会社における執行役を被保険者とする規定を欠く。
しかし,委員会等設置会社における執行役は会社役員としてまさに会社の業務についての意思決定を行い(同21条の7第3項・同21条の12第1号),業務執行を担当し(同21条の12第2号),株主代表訴訟の対象にもなる(同21条の22第1項)。
よって,その法的地位は米国法におけるofficerに類するものであって,まさにD&O(Director and Officer)保険にいうところのofficerに相当するものとして取締役・監査役に準じてD&O保険の被保険者となるにふさわしい地位であることは明白であることから,いずれの保険会社も執行役を取締役・監査役に準ずる地位として取り扱っている。
取締役・監査役に準ずる地位であっても,現行約款上は保険証券の被保険者欄に記載されなければ「役員」として扱われないということになるが,委員会等設置会社を記名法人とするD&O保険契約においては,執行役の商法上の位置づけに鑑みると執行役は当然に「役員」として取扱われるべきものであって,執行役を「役員」に含めない取扱は好ましくないものと解する。

第2款 商法上の根拠を持たない執行役員

会社の中には委員会等設置会社における執行役とは法的には全く別個の「執行役員」という役職を設けている会社がある。
この執行役員という役職は商法上の根拠を持たない役職であって,その実態は執行役員という役職を導入した会社ごとに千差万別であるが,概ね代表取締役に準ずる程度の広範な業務執行権限を付与された役職であると考えられる。
ただし,その法的地位としては雇用契約を基本とする一種の重要な使用人(商法260条2項3号)と解するより他なく,会社の機関を構成する者として会社との間で委任の関係に立つ取締役,監査役,(委員会等設置会社における)執行役とは異なる。
そこで,この執行役員という地位を取締役・監査役に準ずる地位であるとしてD&O保険上の「役員」に含め,執行役員の地位にある者をD&O保険上の被保険者として取り扱うべきかどうかが問題となる。
考え方としては,法的に会社の機関でもなく代表訴訟の対象にもならない執行役員は取締役・監査役に準じる地位にあるとは評価できないからD&O保険の役員に含めるべきではないという考え方と,役員という名称が与えられ執務実態として代表取締役に準ずる広範な業務執行を行っているのであるから取締役に準じるものとしてD&O保険の役員に含めてもよいのではないかという考え方とがある。
執行役員という役職を導入する会社が出始めたころは,保険会社によってこれをD&O保険における役員に含めることができるとする保険会社と役員に含めることはできないとする保険会社とがあったが,現在は執行役員をD&O保険における役員に含めることは全くできないとする保険会社はないように思われる。
現在のD&O保険実務上は,保険契約者の希望があればほぼ無条件に執行役員をD&O保険における役員に含める取扱を認める保険会社と,保険契約者の希望があった場合には当該会社の執行役員についての権限を定めた規定を確認した上で,当該会社における執行役員が真に代表取締役に準じる程度の広範な業務執行権限を有している場合にはD&O保険における役員に含めることができるとする保険会社がある。
執行役員は法律に根拠を持つ役職ではなく,その実体は執行役員を置く会社ごとにまちまちなのであるから,執行役員を真に取締役及び監査役に準ずると評価できるかについては,それぞれの会社における執行役員の職務内容に照らして判断するより他ないはずである。
そうだとすると,保険会社側の取り扱いとしても,当該会社における執行役員の権限規定を確認した上で役員に含めうるかどうか判断する方が好ましいのではないかと思われる。
なお,取締役・監査役に準ずる程度の権限を有する執行役員という役職を導入している会社であっても,あえて当該執行役員をD&O保険における役員に含めないという取扱いをすることは問題ない。

第3款 海外子会社の役員

海外の子会社を記名子会社に指定した場合,当該子会社は現地の法律に準拠して設立されるものであり,その会社役員は日本の商法における取締役・監査役ではないことになるから,その会社役員をD&O保険の被保険者として取り扱うために当該子会社における役員の地位の名称を取締役・監査役に「準ずる者として保険証券の被保険者欄に記載」する必要がある(普通約款3条2号)。
典型例としては米国法人におけるdirectorやofficerの地位が挙げられる。
既に説明した通り,「地位」による指定であるから,保険証券の被保険者欄にはdirectorやofficer等の地位にある役員個人の名称を記載するのではなく,端的に「director」,「officer」等と記載することになり,それらの地位にある者が無記名包括的に被保険者として取り扱われることになる。
ただし,海外子会社におけるどのような役職でも任意に役員になるべき地位として指定できるのという訳ではなく,あくまでも商法上の取締役,監査役に準ずる地位と評価できる役職である必要がある。

第5節 会社の役員としての業務につき行った行為

D&O保険では被保険者が「会社の役員としての業務につき行った行為」に起因する損害賠償請求のみが保険金支払の対象となる(普通約款1条)。
行為には作為のみではなく不作為も含まれる(同)。
そして,前述の通り,「会社」も「役員」も約款上その意味が厳格に定められているから,このような意味での「会社」の「役員」としての業務につき行った行為のみがD&O保険の対象になる。
よって,被保険者の行為に起因する損害賠償請求であっても,被保険者の個人的な日常生活上の行為に起因する損害賠償請求は当然にD&O保険の対象外である。
例えば,被保険者が居住するマンションの管理組合の役員として行った行為,ロータリークラブのメンバーとして行った行為等に起因して被保険者が損害賠償請求を受けたとしてもD&O保険では保険金は支払われない。

第1款 「会社」の役員としての業務

D&O保険の対象となる被保険者の行為は,「会社」の役員としての業務につき行った行為に限られる。
そして,会社とは記名法人及び記名子会社を意味するから(普通約款3条1号),被保険者の行為であってもそれが記名法人又は記名子会社の役員としての行為でなければD&O保険の対象とならない。
したがって,記名法人の役員が子会社の役員も兼務している場合において当該子会社が記名子会社でない場合は,この者が子会社の役員としての業務につき行った行為はD&O保険の対象外である(※ 理屈上は,記名法人の役員としての業務につき行った行為はD&O保険の対象となり,子会社の役員としての業務につき行った行為は対象外というように明確に区別できるが,実際上,被保険者に対する損害賠償請求なされた場合において,このような明確な区別が容易でない場合が生じることが考えられる。このような容易でない判断を回避する方法として,子会社も記名子会社に指定して子会社の役員としての業務につき行った行為についても保険の対象としておくことが考えられる)。
同様に,記名法人の役員が子会社でない他の会社の役員を兼務している場合も,この者が当該他の会社の役員としての業務につき行った行為はD&O保険の対象外となる。

第2款 「役員」としての業務

D&O保険の対象となる被保険者の行為は,「役員」としての業務につき行った行為に限られる。
そして,役員とは商法上の取締役及び監査役並びにこれらに準ずる者として保険証券の被保険者欄に記載された地位にある者を言う(普通約款3条2号)。
したがって,例えば被保険者が記名法人の従業員兼務取締役である場合,被保険者が記名法人の従業員と記名子会社の取締役とを兼務している場合などにおいては,取締役としての業務につき行った行為のみがD&O保険の対象となり,従業員としての業務につき行った行為は被保険者の行為ではあってもD&O保険の対象外となる。
観念的には以上の通りであるが,実際上被保険者が行った具体的行為がその者の役員としての業務につき行った行為であるのか従業員としての業務につき行った行為であるのかについては明確に区別できない場合が生じることも考えられる。
約款文言が役員としての業務につき行った行為であることを要件として保険の対象とする旨規定し,従業員としての業務につき行った行為であることを要件として保険の対象外とする規定を置いていないことから判断すると,少なくとも役員としての業務につき行った行為の性質と従業員としての業務につき行った行為の性質とを併有していると評価しうる被保険者の行為については保険金支払の対象になるというべきであろう。

第6節 保険期間

D&O保険では保険期間中に被保険者に対して損害賠償請求がなされたことが保険金支払の要件となる(普通約款1条)。
普通約款4条は,保険期間について次の通り定めている。

(保険期間)
第4条 保険期間は,その初日の午後4時(保険証券にこれと異なる時刻が記載されているときは,その時刻)に始まり,末日の午後4時(保険証券にこれと異なる時刻が記載されているときは,その時刻)に終わります。
2.前項の時刻は,保険証券発行地の標準時によるものとします。
3.当会社は,保険期間が始まった後であっても,当会社所定の保険料領収前になされた損害賠償請求に起因する損害をてん補しません。
第1款 保険始期・保険終期・期間の長短

保険期間の開始時刻及び終了時刻は原則として午後4時であり,午後4時以外とする場合はその時刻が保険証券上に明記されることになる。
ただし,開始時刻及び終了時刻を何時に設定するかが実務上問題になることはほとんどないから,大多数の契約は約款上の原則通り午後4時を開始時刻及び終了時刻としている。
午後4時から1年後の応答日の午後4時までを保険期間とする取扱いは,D&O保険に限らずわが国の損害保険契約の一般的取扱いである(※ 保険期間の開始時刻及び終了時刻を何時に設定するかについては,明確に定められてさえいればそれが具体的に何時であるかというのは本来どうでもよい事柄ではあるが,わが国の損害保険契約の多くが開始時刻及び終了時刻につき午後4時という中途半端な時刻を採用している理由は,かつてわが国の損害保険会社の営業時間が午後4時までだったからであるという説明がなされることがある。ただし,その真偽のほどは定かでない)。
保険始期から保険終期までの長さすなわち保険期間の長さは1年間とするのが実務上の原則的取扱いである。
したがって,ほとんどのD&O保険契約の保険期間は,保険始期日の午後4時から1年後の応答日の午後4時までとなっている。
普通約款4条からは保険期間を1年間とする取扱いが原則であることは読み取れないが,D&O保険の約款全体をながめると,1年間という保険期間を当然の大前提としていることを暗示する規定が置かれている。
そのような規定として,普通約款において「初年度契約」という用語が使用されていること(普通約款3条9号等),普通約款に別表として掲げられている短期料率表(※ 保険契約者が保険期間の中途で任意にD&O保険を解約した場合に保険始期からの経過期間に応じてこの表に定められている割合を100%から減じた割合で保険料が保険契約者に返戻される)が1年までで100%と定めている点を挙げることができる。
保険期間の開始時刻及び終了時刻を定める基準として,普通約款4条2項は保険証券発行地の標準時によるものと定めているが,このような定めはわが国における他の一般的な損害保険には見られない規定である。この規定は,D&O保険が日本国内のみでなく全世界を担保地域とすることを原則としていることの現れである。

第2款 保険始期日・保険終期日を何月何日に設定するか

保険始期日及び通常その1年後の応答日として設定する保険終期日を何月何日と設定するかは契約者が自由に選択しうるものであるが,D&O保険については7月1日を始期日及び終期日とする契約が一番多い。
その理由は,D&O保険では保険料の一部を会社役員が自己負担する必要があるところ,わが国の多くの会社では毎年6月下旬の株主総会において役員改選がなされ,7月初めに就任する新年度の役員に新年度のD&O保険契約の保険料を負担させるという取扱いをしているからである。
しかし,必ずしもこのような取扱いを要するものではなく,D&O保険の保険年度がいかなる日を起点として定められるかにかかわりなく,D&O保険契約が締結された時に在任している会社役員にその保険料の一部負担を課すといった取り扱いをすることも可能と解されるから,役員改選時期とは無関係にD&O保険の始期日及び終期日を設定しても差し支えない。

第3款 1年間ではない保険期間の取扱い

保険商品の中には,保険期間を複数年間の長期間に設定し,その保険料を当初に一括で支払うことにより,年間保険料を当該複数年分支払うよりも安い保険料で保険契約できるという取扱いが認められている場合がある。
例えば,火災保険では広くこのような取り扱いが認められている。
将来にわたって安定したリスク状況が継続することを前提とすることができるのであれば,将来の保険料を現在一括支払いすることにより利息分の保険料を割り引くという取扱いに合理性が認められる。
しかし,将来長い年月にわたって保険の対象として設定したリスクの大小が安定的に推移するという保証はない。
よって,保険期間が長くなればなるほど,保険会社は将来の収支について大きな不確定要素を抱え込むことになる。
このような事態は保険会社が好むところではないから,特に保険の対象とするリスク状況が不安定であると考えられる場合は,保険期間が1年を超えるような長期契約は保険会社の側からは歓迎されないと考えて良い。
D&O保険については,例えば平成5年の商法改正や当時の社会的情勢により株主代表訴訟の件数が急増したという事実が示すように,将来にわたって保険対象リスクが安定して推移するとは到底評価できない。
よって,保険会社は保険期間1年間を超える長期のD&O保険を通常引き受けたがらない。
逆に,保険期間が1年間よりも短い短期契約については保険会社にとってリスク評価の面からこれを謝絶すべき理由はあまりないから,保険契約者があえて希望すれば1年未満の保険期間によるD&O保険は可能であると考えられる。
しかし,短期契約をした場合の保険料は年間保険料をベースとして保険期間の長短に応じた比例計算をした保険料よりも割高になるのが保険会社の一般的取扱いであることから(※ 保険料については後に詳述する),保険契約者にとって短期契約のメリットはあまりない。
保険期間の開始後1年以内に別の会社と合併し,その時点で合併後の新会社を保険契約者としてD&O保険を付け直すことが保険契約締結時に予め判明しているような場合であっても,さしあたり1年契約でD&O保険契約を締結し,合併の時点で新しいD&O保険契約を締結すると同時にそれまでのD&O保険契約を解約する処理をするのが実務的な取扱いである。
この場合において,新しいD&O保険契約を従来と同一の保険会社と締結し,かつ新しいD&O保険契約の担保範囲が従来のD&O保険契約の担保範囲よりも狭くなっていない限り,従来のD&O保険契約の保険料は解約時までの日割計算に基づいて保険契約者に返戻されるのが通常の取扱いであるから,予め合併時までの短期契約を締結するよりも契約者にとってメリットがある。

第4款 保険料領収前の事故の取扱い−保険料即収の原則

損害保険契約は法律上は諾成契約であり,保険契約者と保険会社との申込・承諾という意思表示の合致により保険契約が成立する(商法629条)。
したがって,保険契約の成立により保険契約者は保険料を支払う義務を負うと同時に保険会社は保険事故による損害について保険金を支払うべき義務を負うことになる。両者の義務は同時履行(民法533条)の関係には立つとはいえ,保険会社は保険料を領収する前に発生した保険事故についても保険金を支払うべき義務を負うことになる。
しかし,このような取扱いに委ねたのでは,もしも保険事故が発生したら保険料を支払うが,保険事故が発生しなければ保険料を支払わないという悪質な保険契約者が出現することを防止できないことになる。
そこで,D&O保険に限らず,一般に保険約款上は保険料支払義務と保険金支払義務の同時履行を否定し,保険料が全額支払われるまでの間に発生した事故については保険金支払の対象としないという取扱いがなされる。
このような取扱いを保険料即収の原則と呼んでいる。D&O保険の普通約款4条3項はこの保険料即収の原則の定めたものである。

第7節 保険期間中の損害賠償請求−損害賠償請求ベース

D&O保険では,被保険者に対して保険期間中に損害賠償請求がなされたことが保険金支払の要件とされている(普通約款1条)。
このような取扱いを損害賠償請求ベース(claims-made basis)という。
D&O保険は賠償責任保険の一種であるが,賠償責任保険の多くは損害賠償請求をもたらした原因事故が保険期間中に発生したことを保険金支払の要件としている。
例えば,製造・販売した物に起因して身体障害・財物損壊が発生したことについて被保険者が賠償責任を負担したことによる損害を担保するPL保険(生産物賠償責任保険)においては,保険期間中に身体障害・財物損壊が発生したことをもって保険金支払の要件とするのが原則的取扱いである。
このような取扱いを事故発生ベース(occurrence basis)という。
保険会社が保険金を支払う義務を負う事故を保険事故と呼ぶが,損害賠償請求ベースでは被保険者が損害賠償請求を受けることが保険事故となり,事故発生ベースでは損害賠償請求をもたらした原因事故の発生(※ 例えばPL保険では身体障害又は財物損壊の発生)が保険事故となる。

第1款 損害賠償請求ベースの採用理由

事故発生ベースの下では,損害賠償請求をもたらした原因事故(※ PL保険であれば身体障害・財物損壊)が保険期間中に発生している限り,被保険者に対する損害賠償請求が保険期間経過後に発生したとしても保険会社は保険金を支払う義務がある。
しかし,ケースによっては原因事故の発生時点から被保険者に対する損害賠償請求がなされる時点まで非常に長い時間的間隔が生じることがあり(※ このような状況を「しっぽが長い」(long tail)と呼んでいる),被保険者に対して損害賠償請求がなされるまでは被保険者も保険会社も原因事故が発生しているという事実を知らないことも少なくないから,保険期間が終了し相当長期間が経過した後になって初めて保険会社が保険事故の発生を認識するという事態が起こりうる。
これでは保険会社にとって当該保険契約についての収支がいつまでたっても確定しないことになるから,保険会社としてはこのような事態をできる限り回避したいと考えることになる。
これに対して,損害賠償請求ベースを採用すれば,被保険者が損害賠償請求を受けることなく保険期間が終了することによって保険事故が発生しなかったことが確定し(※ 被保険者は損害賠償請求を受けた場合はすみやかに保険会社に通知する義務を負うから,被保険者に対する損害賠償請求が生じた時点からこれを保険会社が認知する時点までの期間について長期のタイムラグが生じるおそれはない),当該保険契約の収支が速やかに確定するということになる。
そこで,原因事故時点から被保険者に対する損害賠償請求時点までの間に類型的に長い時間的間隔が生じることが予想される場合には,保険会社は賠償責任保険を引き受けるに当たって損害賠償請求ベースで引き受けようとする傾向にある。
例えば,事故発生ベースで引き受けられることが多い前記のPL保険についても,医薬品を対象とするPL保険では損害賠償請求ベースで引き受けられていることが多い。
D&O保険においては,将来の損害賠償請求をもたらす原因事故が発生してから当該会社役員に対して損害賠償請求がなされるまでの間に,長い時間的間隔が生じることが少なくないことが予想されることから,D&O保険においては損害賠償請求ベースが採用されている。

第2款 損害賠償請求ベースにおける遡及日

損害賠償請求ベースの下では,将来的に損害賠償請求をもたらすおそれがある原因事由が発生したことを受けて,これを保険により担保すべく新規に保険に加入するという事態(※ このような保険加入の態様を「駆け込み契約」と呼んでいる)が発生する可能性がある。
このように,保険上のリスクが高い者ほど保険に加入しようとすることを逆選択と呼び,このような逆選択を許せば保険事故が多発し保険会社の収支が悪化するから(※ 理屈上は保険会社がリスクの高い者の加入を拒否したりリスクに見合った保険条件を設定するなどの措置を取れば問題ないはずであるが,リスクが高いか低いかを判断するにあたっての情報は保険会社よりも保険契約者の方が多く有しているのが通常であり,かかる情報の非対称性から保険会社がこのような措置を取ることは必ずしも容易でない),保険会社の側は保険の設計や引受に当たってできる限り逆選択が生じないように注意を払うことになる。
そこで,損害賠償請求ベースを採用する場合は,このような逆選択に基づく駆け込み契約を回避するために,保険契約者が新規に保険契約を締結した日を遡求日(retroactive date)と定義し,損害賠償責任を生じさせる原因となった出来事が,この遡及日以降に生じた場合だけ保険金の支払い対象とする取扱いをするのが通常である。
この遡及日は,次年度以降に継続される保険契約にそのままの日付で承継される取扱いになる。
よって,このような遡及日が設定された損害賠償請求ベースの下では,保険期間中に被保険者に対して損害賠償が請求され,かつその原因事由が保険契約者が新規に保険契約を締結した日以降に発生したものである場合にのみ保険金が支払われることになる。

第3款 D&O保険における遡及日の取扱い

D&O保険における遡及日の取扱いは,次のような普通約款の規定を通じて定められている。
まず,普通約款3条8号及び9号が継続契約及び初年度契約を次の通り定義している。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(8) 継続契約
会社役員賠償責任保険普通保険約款に基づく当会社との保険契約(以下「会社役員賠償責任保険契約」といいます。)の保険期間の終了日(その会社役員賠償責任保険契約が終了日前に解除されていた場合にはその解除日)を保険期間の開始日とし,記名法人を同一とする会社役員賠償責任保険契約をいいます。
(9) 初年度契約
前号の継続契約以外の会社役員賠償責任保険契約をいいます。

D&O保険において,初年度契約は次のような機能を有している。
すなわち,初年度契約の保険期間の開始日より前に退任した会社役員は被保険者として取り扱われず(普通約款3条3号),初年度契約の保険期間の開始日より前に行われた会社役員の行為は保険金支払の対象とならず(普通約款6条1号),初年度契約の保険期間の開始日より前に会社に対して提起されていた訴訟およびこれらの訴訟の中で申し立てられた事実と同一または関連する事実に起因する損害賠償請求は保険金支払の対象とならない(普通約款6条2号)。
このような取扱いを行う前提として普通約款3条9号が初年度契約の定義を定めている。
他方,普通約款の中で「継続契約」という語はこの普通約款3条8号・9号でしか用いられていないから,普通約款上は継続契約の定義は初年度契約の定義を導く意味しかないと言える。
このように,約款作成の技術上の問題から,継続契約を先に定義した上でそれ以外の契約を初年度契約と定めているためやや分かりにくいが,通常は記名法人が初めて締結したD&O保険契約が初年度契約であり,当該記名法人が初年度契約以降,保険期間のブランクを生じさせることなく間断なくD&O保険契約を締結し続けた場合はそれら後続の契約が継続契約ということになる。
後続の契約であってもその前の保険契約との間で保険期間が連続しておらずブランクの期間が生じてしまっている場合は当該後続の契約は改めて初年度契約として取り扱われることになる。また,後続の契約であっても記名法人を変更した場合は初年度契約として取扱われることになるが,この場合は保険の対象リスクが全く変更されることになる訳であるからこれは当然であろう。
問題になりそうなケースとして,後続の契約を従来の保険会社とは別の保険会社で締結する場合がある。普通約款3条8号の定義によれば,継続契約として取扱われるためには「当会社」との保険期間の終了日を保険期間の開始日とする必要があるから,前年度の保険契約を締結した保険会社とは別の保険会社で後続の契約を締結した場合,「当会社」の要件を充足せず,継続契約に該当しないのではないかという疑問が生じる。しかし,実務上は,後続の保険契約を締結する保険会社は,原則としてその契約を継続契約であるとして取り扱っている。
以上のような初年度契約の意義を前提とした上で,普通約款は次のような免責条項を置いて,賠償責任を生じさせる原因となった事由が初年度契約の保険期間の開始日より前に発生した場合を免責としている。

(てん補しない損害−その2)
第6条 当会社は,被保険者に対してなされた次の各号に掲げる損害賠償請求に起因する損害についてはてん補しません。なお,第1号ないし第8号の中で記載されている事由または行為については,実際に生じたまたは行われたと認められる場合に限らず,それらの事由または行為があったとの申し立てに基づいて被保険者に対して損害賠償請求がなされた場合にも,本条の規定は適用されます。
(1) 初年度契約の保険期間の開始日より前に行われた行為に起因する一連の損害賠償請求

普通約款6条1号にいう「初年度契約の保険期間の開始日」というのが遡及日に該当する。
そして,遡及日前に発生した原因事由たる行為に起因する損害賠償請求が免責とされている(※ このようなD&O保険上の取扱を先行行為免責=prior act exclusionと呼んでいる)。
「行為」(普通約款6条1号)とは普通約款1条に定義されている通り,「被保険者が会社の役員としての業務につき行った行為」を指す。普通約款1条により,行為に起因して損害賠償請求を受けることが保険金支払の要件とされているわけであるが,遡及日の設定により遡及日前の行為に起因する損害賠償請求については普通約款1条にもかかわらず保険金が支払われないことになる。
遡及日たる初年度契約の始期日がいつであるかは,普通約款3条8号及び9号に基づく初年度契約の定義により一義的に特定されることになり,平たく言えば同じ保険会社との間で間断なくD&O保険を継続していた場合における最初の保険契約の保険始期日ということになるが,初年度契約の時点から長年経過すると初年度契約の始期日が具体的に何年何月何日であったか次第に分からなくなってくるような事態も想定しえないではないから,実務上初年度契約の始期日は具体的な日付で保険証券上に明記されるのが通常である。
このように,遡及日が保険証券上に具体的日付で明記される取扱いを前提にすると,普通約款3条8号及び9号による継続契約及び初年度契約の定義規定がなくても約款上は「保険証券記載の遡及日」と規定することで足る。
実際に,遡及日を設定する損害賠償請求ベースの賠償責任保険の約款構成の多くは,「保険証券記載の遡及日」という規定で済ませ,遡及日を具体的にいつに設定するかは約款外で定める取扱いをしている。
D&O保険を含め,遡及日を設定する損害賠償請求ベースの賠償責任保険において,実際上の必要から遡及日を初年度契約の始期日以外の日に設定するケースがある。
このようなケースがありうることも想定すると,約款上は単に「保険証券記載の遡及日」と規定されている方が柔軟に対応可能であり,D&O保険の普通約款のように遡及日を一義的に定義してしまう約款は使い勝手が悪いとも言えるが,かかる遡及日の定義条項は,遡及日を初年度契約の始期日で定めるという原則的取扱を保険契約者に示す機能を有しているものと評価することはできよう。

第4款 損害賠償請求発生時の修正

保険金支払がなされるための時的要素として,保険期間中に損害賠償請求が発生することを要する。
損害賠償請求の発生時とは通常は文字通り実際に損害賠償請求がなされた時であるが,普通約款20条2項はこれを一部修正するものとして次のように定めている。

(損害賠償請求等の通知)
第20条 …
2.保険契約者または被保険者が,保険期間中に,被保険者に対して損害賠償請求がなされるおそれのある状況(ただし,損害賠償請求がなされることが合理的に予想される状況に限ります。)を知った場合には,その状況ならびにその原因となる事実および行為について,発生日および関係者等に関する詳細な内容を添えて,遅滞なく当会社に対し書面により通知しなければなりません。この場合において,通知された事実または行為に起因して,被保険者に対してなされた損害賠償請求は,通知の時をもってなされたものとみなします。

本項の通知義務に基づいて保険会社に対して通知がなされた事実または行為に起因する損害賠償請求は,当該通知日になされたものとみなされる。
その結果,この損害賠償請求に対する保険金の支払は,当該通知がなされた日が属する保険期間の保険契約の保険条件に従うこととなる。
損害賠償請求の発生時についてこのような修正が施される理由は,損害賠償請求がなされるおそれのある状況が発生し,保険上のリスクが高まったことを受けて,以降の保険条件を変更しててん補限度額を拡大するなどの逆選択リスクが発生する事態が生じることを防止するためである。
ここで,損害賠償請求がなされるおそれのある状況の典型例としては,株主代表訴訟の予告通知がなされた場合を挙げることができる。

第5款 損害賠償請求ベースでの注意点

1 早めの加入による遡及日の確保

将来的に損害賠償請求をもたらすべき原因事故の発生からそれに基づいて実際に損害賠償請求がなされるまでにはある程度の時間的間隔が生じるのが通常である。
D&O保険について検討してみると,何らかの会社役員の不当な行為がなされた後数年以上経過した後に当該行為に起因する損害賠償請求が行われるという事態は十分に想定できるのでありむしろ数年程度を要するのが通常であると考えられる。
しかるに,D&O保険では通常初年度契約の始期日が遡及日として設定され,遡及日前の会社役員の行為に起因する損害賠償請求は免責となる。
したがって,上記の通り,会社役員の行為から損害賠償請求まで数年を要するのが通常であるとすれば,D&O保険に新規に加入して数年間は保険金が支払われることはあまりありえないということになる。
そうすると,最初数年間のD&O保険契約は遡及日を確保することに意義があるということになる。
遡及日が設定された損害賠償請求ベースの保険契約においては,遡及日ができる限り昔の日である方が保険金が支払われる範囲が広がるのであるから,早めにD&O保険に加入してできる限り昔の遡及日を確保することが大切である。

2 遡及契約

遡及日は初年度契約の始期日とするのが通常の取扱いであるが,初年度契約よりも前の日付けとして遡及日を設定したり,あるいは遡及日を設定せず損害賠償請求の原因となった出来事がいつであっても単に損害賠償請求が保険期間中に発生しさえすれば保険金支払の対象とする保険条件の設定も一応可能である。
このように,損害賠償請求ベースにおいて初年度契約よりも前の原因事故についても保険金支払の対象としうる保険条件に基づく保険契約を遡及契約と呼んでいる。
遡及契約は会社役員の不当な行為がなされた後に,これを前提としてD&O保険に駆け込みで新規加入して将来の損害賠償請求発生時に保険金を得ようという事態の発生を許しかねないから,保険会社の側からすれば好ましいものではなく,遡及契約は認めないという取扱が原則である。
しかし,保険会社が遡及契約を認めている事例が見られないではない。
遡及契約を引き受ける場合,保険会社は初年度契約の始期日よりも前に被保険者に対する将来的な損害賠償請求の原因となりうるような問題点を契約者が抱えているものではないかを詳細に調査したり,保険料を通常よりもかなり高めに設定したりして遡及日を設定する通常の契約引受の場合よりも慎重に対応している。

3 他社移行契約

遡及日を設定した損害賠償請求ベースの賠償責任保険においては,引受保険会社を別の会社に切り替える際に少々問題が生じる。
従来A保険会社で契約してきたD&O保険が保険終期日を迎えるにあたり,次年度のD&O保険をB保険会社に切り替えて契約する場合を例にとって検討する。
継続契約となるための要件として,「当会社との」保険契約の保険期間の終了日を保険期間の開始日としている必要があることから(普通約款3条8号),B保険会社のD&O保険は継続契約には該当せず初年度契約(普通約款3条9号)として取り扱われることになる。
そして,A保険会社の保険の取扱いとして,仮に損害賠償請求の原因となった会社役員の行為がA保険会社の保険継続中に行われた場合であっても,A保険会社の保険期間終了日よりも後に生じた損害賠償請求については保険金支払の対象外である。
他方,B保険会社の保険では,初年度契約の始期日としてB保険会社に切り替えて契約した日をもって遡及日とするから,この遡及日前の会社役員の行為に起因する上記損害賠償請求はB保険会社のD&O保険でも保険金支払の対象外である。
このように,遡及日についての原則的取り扱いを貫くと,D&O保険の保険会社を他社へ切り替えた場合に,他社切り替えがなければ保険金支払の対象となったはずの損害賠償請求が保険金支払対象とならないケースが発生しうることとなり,保険カバーに穴が開いてしまうことになる。
このような現象は遡及日を設定する損害賠償請求ベースに基づく保険契約特有のものであり,事故発生ベースに基づく保険契約や損害賠償請求ベースでも遡及日を設定しない保険契約についてはこのような現象は生じない。
このように,引受保険会社を他社に切り替えることによって保険カバーに穴が開いてしまう事態は保険契約者にとって極めて不都合であるから,他社切り替えの障害になる。他方,保険会社にとっても,他の保険会社との競争の中でより多くのD&O保険契約を獲得しようと考えるから,他社から契約を奪うためにはこのような障害があることは不都合である。
そこで,実務上は引受保険会社の切り替えによって新たに引受保険会社となろうとする保険会社は,直近他社の契約において設定されていた遡及日を同一日でそのまま承継して保険を引き受けるケースが多い。
このような契約形態は新たな引受保険会社にとってみれば遡及契約ではあるが,他社契約とはいえ契約が存在していたのであるから,会社役員の不当行為後の駆け込み契約であるおそれは低いため,全くの無保険状態からの新規契約と比較すると遡及日の承継が認められるケースが多い。
とはいえ,常に遡及日の承継が認められるとは限らないから,保険契約者側の注意点として,D&O保険契約の引受保険会社を変更する際には現行契約において設定されている遡及日が承継されるのか否かを新たな引受保険会社に確認する必要があると言える。

4 テイルカバー

損害賠償請求ベースの下では,損害賠償請求の原因となった原因事故(※ 例えば,D&O保険における会社役員の不当な行為)が保険契約の継続中に発生したとしても,それに基づく損害賠償請求が保険期間の終了後に発生した場合は保険金支払の対象外となる。
よって,想定しうる事態として,保険会社側が会社役員の不当な行為がなされたことを認識し,これに基づいて将来損害賠償請求が発生することを予想した場合において,次年度以降のD&O保険契約を引き受けないという事態が発生しうる。
引き受けないとまでは言わないにしても,例えば保険料を前年度の10倍以上の水準にしたり,てん補限度額を前年度よりも大幅に減少させたり,保険会社が認識した会社役員の当該不当な行為に起因する損害賠償請求は免責とする条件を付す等の保険条件でしか引き受けないということも考えられる(※ ただし,わが国の保険会社はどちらかというと長期安定的な保険取引を指向し,このようなビジネスライクでドライな態度を取ることはあまりないように思える)。
そこで,このような事態をできる限り回避するために,もしも当該保険契約が継続されなかった場合は一定要件の下で保険契約終了後になされた損害賠償請求を保険金の支払対象とする特約条項を予め附帯するケースがある。
保険期間終了後の損害賠償請求に対して与えられるこのような保険カバーをテイルカバー(tail cover)という(※ 原因事故の発生時点から被保険者に対する損害賠償請求がなされる時点までに非常に長い時間的間隔が生じる状況を「しっぽが長い」(long tail)と呼ぶことは前述したが,この長いしっぽに保険カバーを与えるのがテイルカバーである)。
どのようなテイルカバーが付与されるかは実務上様々である。テイルカバーが付与されるためには保険契約終了時に一定の追加保険料の支払を要するとされている場合もあれば,このような追加保険料支払は不要とされている場合もある。
テイルカバーが与えられる期間は保険期間終了後1,2年程度であるのが普通であるが,それよりも長い期間というケースも考えられる。このテイルカバーの期間内に発生した損害賠償請求が保険金支払の対象になる。
ただし,通常の取扱いではテイルカバーは単純に保険期間が延長された場合とは異なり,保険契約が終了してテイルカバーが開始される時点までに発生した原因事故(※ 例えば,D&O保険における会社役員の不当な行為)に起因する損害賠償請求のみを保険金支払対象としており,テイルカバー開始後の原因事故に起因する損害賠償請求は保険金支払の対象外とされる。

5 中途での担保範囲の拡大

損害賠償請求ベースの契約に関して問題となる場合として,保険期間の中途で,あるいは保険期間終了後に継続して次年度の契約を締結する際に保険条件を変更して従来よりも保険カバーを広げる場合がある。
てん補限度額(※ 保険事故が発生した場合の保険金の支払限度額)を従来よりも高額な金額に変更するような場合が典型である。
保険カバーが従来よりも拡大した部分というのは,別の言い方をすれば従来は無保険状態であった部分という訳であるから,その部分だけに着目すれば新規に保険契約を締結したのと同じということになる。
そうであれば,損害賠償請求ベースの賠償責任保険に関する新規契約の問題と同様の問題が生じるということになる。
すなわち将来的に損害賠償請求をもたらすおそれがある原因事由が発生したことを受けて,これについて従来よりも保険カバーを拡大するという事態の発生である。
このような弊害を回避するためには,損害賠償請求ベースの下で遡及日を導入するのと同様の考え方を導入する必要がある。
具体的には,例えば,従来てん補限度額が3億円であったD&O保険契約についててん補限度額を5億円に増額する条件変更を行った場合,条件変更日より前になされた会社役員の行為に起因する損害賠償請求については条件変更後に損害賠償請求がなされた場合であっても従前の3億円のてん補限度額を適用し,条件変更日以降になされた会社役員の行為に起因する損害賠償請求についてのみ5億円のてん補限度額を適用するというような保険条件を設定することになる(※ その旨定める特約条項を作成・附帯することになろう)。
これが保険カバーを拡大する場合の基本的取扱いである。
ただ,全く無保険状態から保険契約を新規に締結する場合ほど弊害が顕著ではないので,保険カバーの拡大の程度等によっては,必ずしも上記取扱いをせず,単純に条件変更日以降の損害賠償請求については拡大された保険カバーで保険金を支払うという条件で保険が引き受けられるケースもある。

第8節 保険事故の取扱い単位

普通約款3条4号は,保険事故の取扱い単位につき次の通り定めている。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(4) 一連の損害賠償請求
損害賠償請求がなされた時もしくは場所または損害賠償請求者の数等にかかわらず,同一の行為またはその行為に関連する他の行為に起因するすべての損害賠償請求をいいます。なお,一連の損害賠償請求は,最初の損害賠償請求がなされた時にすべてなされたものとみなします。
第1款 一連の損害賠償請求

上記の定義通り,会社役員に対する複数の損害賠償請求が同一の行為又は関連する行為に起因する場合,それらはまとめて一連の損害賠償請求として普通約款上取り扱われることになる。
これは,D&O保険が一連の損害賠償請求単位で1つの保険事故であると捉える考え方を採用したこと示すものである。
このように,同一原因または相互に関連する複数の損害賠償請求をとりまとめて一つの損害賠償請求のように取り扱う手法は損害賠償請求ベースの賠償責任保険において時折見受けられ,このようにとりまとめて一単位の損害賠償請求として取り扱う旨を定める条項をクレームシリーズクローズ(Claim Series Clause)と呼ぶ。
「損害賠償請求がなされた時もしくは場所または損害賠償請求者の数」はその後に「等」がある通り例示列挙であるから,例えば損害賠償請求を受けた会社役員が別々の者であったとしても一連の損害賠償請求として取り扱われうる。
また,「その行為」と「関連する他の行為」の行為主体が同一でなければならないという限定もないから,例えばある会社役員が行った行為によってトラブルが発生したため別の会社役員がその後始末をするための行為をしたというような場合も両者の行為は関連する行為として取扱われることになる。

第2款 一連の損害賠償請求単位で取り扱われる事項

D&O保険の普通約款上,一連の損害賠償請求単位で規定される事項としては次のものがある。

1 損害賠償請求の発生時

普通約款3条4号なお書きが規定する通り,一連の損害賠償請求はそれを構成する個々の損害賠償請求のうち最も早く発生した損害賠償請求の発生時に全て発生したものとみなされる。
損害賠償請求ベースの下では損害賠償請求の発生時が保険期間中であることが保険金支払の要件となるから,複数の損害賠償請求が複数年にわたって発生した場合,これらが一連の損害賠償請求に該当すれば,最初に損害賠償請求が発生した時点の保険契約のみが発動されることになる。
このように,一連の損害賠償請求につき最初の損害賠償請求の時に全て請求されたものとして取り扱う旨を定める条項をバッチクローズ(batch clause)と呼び,通常クレームシリーズクローズ(Claim Series Clause)とセットで用いられる。

2 遡及日の適用

遡及日より前に行われた行為に起因する損害賠償請求が免責であることは既に説明したが,この免責として取り扱われる損害賠償請求も一連の損害賠償請求が単位である(普通約款6条1号)。
したがって,個々の損害賠償請求単位で見るとその原因事由となった会社役員の行為が遡及日後であるものが存在するとしても,これを含む一連の損害賠償請求を構成する全ての損害賠償請求の中で遡及日より前の会社役員の行為が原因事由となっているものがあれば,一連の損害賠償請求単位で保険上免責となると解される。 この解釈に対しては次のような異論がありうるところである。
一連の損害賠償請求には「同一の行為」に起因する損害賠償請求だけでなく「その行為に関連する他の行為」に起因する損害賠償請求も含まれるから(普通約款3条4号),複数の行為に起因する損害賠償請求が混在しているケースが考えられる。
そして,普通約款6条1号の免責条項は,遡及日前の「行為」に起因する一連の損害賠償請求を免責と定め,遡及日前の「行為又はそれに関連する他の行為」に起因する一連の損害賠償請求を免責と定めているわけではないことから,一連の損害賠償請求のうち普通約款6条1号により免責となるのは遡及日前の行為に起因する損害賠償請求部分だけであり,遡及日後になされた「関連する他の行為」に起因する損害賠償請求部分は免責とならないという解釈もありうる。
しかし,そもそも遡及日が設定される趣旨は,保険上のリスクが高い者ほど保険に加入したがるという逆選択が生じることを防止する点にあり,このような趣旨は関連する損害賠償請求を一くくりにした一連の損害賠償請求単位で妥当するものと言える。
また,上記異論の通り各個の損害賠償請求単位で免責となるか否かを判断すべきと解するのであれば,普通約款6条1号の文言は「一連の損害賠償請求」でなくとも単に「損害賠償請求」としても同じ意味になるのであるから,同号があえて「一連の」という文言を付加していることに鑑みると,一連の損害賠償請求が遡及日前の行為を原因事由とする損害賠償請求を一部でも含んでいる場合はやはり全体として免責となると解すべきである。

3 保険の重複適用回避のための規定

一連の損害賠償請求単位で損害賠償請求発生日が定まり,最初になされた損害賠償請求時が発生日とされる結果,当該一連の損害賠償請求については最初になされた損害賠償請求の発生日が属する保険期間の保険契約のみが発動され,翌年度以降の保険契約での保険金支払対象とはならない。
そこで,同一の損害賠償請求について複数の保険契約が適用され,保険会社が重複して保険金の支払いを余儀なくされるという重複適用という事態を回避するため,普通約款6条3号及び4号は次の通り定めている。

(てん補しない損害−その2)
第6条 当会社は,被保険者に対してなされた次の各号に掲げる損害賠償請求に起因する損害についてはてん補しません。
なお,第1号ないし第8号の中で記載されている事由または行為については,実際に生じたまたは行われたと認められる場合に限らず,それらの事由または行為があったとの申し立てに基づいて被保険者に対して損害賠償請求がなされた場合にも,本条の規定は適用されます。

(3) この保険契約の保険期間の開始日において,被保険者に対する損害賠償請求がなされるおそれがある状況を被保険者が知っていた場合(知っていたと判断できる合理的な理由がある場合を含みます。)に,その状況の原因となる行為に起因する一連の損害賠償請求
(4) この保険契約の保険期間の開始日より前に被保険者に対してなされていた損害賠償請求の中で申し立てられていた行為に起因する一連の損害賠償請求

3号の損害賠償請求については,普通約款20条2項の適用により,被保険者が損害賠償請求がなされるおそれがある状況を知った時点でその状況等を保険会社に通知する義務が生じ,この通知時に一連の損害賠償請求が発生したものとみなされるから,この一連の損害賠償請求は当該通知時の属する保険期間の保険契約の保険金支払対象となり,その後に保険期間を開始した「この保険契約」の保険金支払対象とならない。
4号の損害賠償請求についても,一連の損害賠償請求の発生時は「この保険契約」の保険期間の前であるから,その後に保険期間を開始した「この保険契約」の保険金支払対象とならない。
以上の3号及び4号の定める事項は,一連の損害賠償請求の定義規定(普通約款3条4号)及び損害賠償請求発生時の修正規定(普通約款20条2項)から導かれる当然の規定であるが,一連の損害賠償請求を構成する個々の損害賠償請求が複数の保険年度にまたがって生じた場合において,複数の保険契約が重複適用されるのではないかという誤解が生じることを回避するため,念のために3号及び4号が定められているものと考えられる。

4 免責金額の適用

免責金額とは,保険金が支払われる場合に被保険者が自己負担しなければならない一定の金額を言う。
損害額のうち免責金額を超過する部分のみが保険金支払の対象になる。そして,この免責金額の適用も普通約款9条1項が次の通り定めるように一連の損害賠償請求単位で適用される。

(てん補責任限度額)
第9条 当会社は,損害の額の合計額が,一連の損害賠償請求につき保険証券記載の免責金額を超過する場合に限り,その超過額に保険証券記載の縮小てん補割合を乗じて得た額をてん補します。

このような免責金額の適用方法は,一連の損害賠償請求単位で1つの保険事故であると捉える考え方を反映したものである。
一連の損害賠償請求に対して1回だけ免責金額が適用される方が一連の損害賠償請求を構成する個々の損害賠償請求ごとに免責金額が適用されるよりも被保険者にとって有利であると言える。

第3款 D&O保険における事故の取扱いの考え方のまと

以上述べてきたD&O保険における事故の取扱方法を簡単にまとめると次の通りである。
まず,同一原因又は関連する損害賠償請求は全て取りまとめて一連の損害賠償請求として取り扱われる(普通約款3条4号,クレームシリーズクローズ)。
直近のD&O保険契約に引き続いて間断なく継続されたD&O保険契約を継続契約と言い(普通約款3条8号),このような直近の契約のないD&O保険契約を初年度契約と言う(普通約款3条9号)。
そして,一連の損害賠償請求の原因となった被保険者の行為が,初年度契約の始期日(=遡及日)よりも前である場合には,保険金は支払われない(普通約款第6条1号,先行行為免責)。
次に,一連の損害賠償請求についてはそれを構成する個々の損害賠償請求のうち最初の損害賠償請求が発生した時をもって全ての損害賠償請求がなされたものとみなされる(普通約款3条4号なお書き,バッチクローズ)。
よって,この一連の損害賠償請求については,最初の損害賠償請求の発生時点が属する保険期間のD&O保険契約のみが適用されることになる(普通約款1条,損害賠償請求ベース)。
また,損害賠償請求の時点については一定の修正規定があり,被保険者に対して損害賠償請求がなされるおそれがある状況を保険契約者・被保険者が知ったときは,これを保険会社に通知する義務があり,この場合において,その後実際に損害賠償請求がなされた場合は,その損害賠償請求は上記通知の時になされたものとみなされる(普通約款20条2項)。

第9節 損害賠償請求がなされたこと

D&O保険では被保険者に対して損害賠償請求がなされたことが保険金支払の要件となる(普通約款1条)。
「損害賠償請求がなされた」には何らの限定も付されていないから,口頭での請求であるか文書での請求であるかを問わない。
また,訴訟による請求であるか訴訟外の請求であるかも問わない。
株主代表訴訟による請求は法的に訴訟による請求しかありえないことになるが,訴訟係属後に和解により終結することもありえ,その場合であっても保険金支払の対象となる。損害賠償を求める主体が誰であるかという点についても限定はないから,株主からの請求に限らず株主以外の第三者からの請求も保険金支払の対象となりうる。ただし,持株比率の高い大株主や他の被保険者からの請求など,個別の免責条項が設けられている場合はある。
損害賠償請求がなされる限り,その請求に客観的に理由があるか否かも問わない。請求に理由がない場合,すなわちいわゆる言いがかり訴訟である場合,当該損賠償請求は認められないこととなるが,請求を受けた被保険者には争訟費用の損害が発生しうるのであり,この損害が保険によりてん補されることになる。
「損害賠償請求」でなければならないから,仮に被保険者を被告とする訴訟が提起されたとしても,その訴訟の内容が確認訴訟であったり差止め訴訟であったりする場合は保険金支払の対象とならないことになる。

第10節 被保険者が被る損害

D&O保険は,被保険者が損害賠償請求を受けた場合の被保険者が被る損害をてん補する(普通約款1条)。
この,「損害」は普通約款第2条により次のように定義されている。

(損害の範囲)
第2条 当会社が前条(当会社のてん補責任)の規定によりてん補する損害は,次の各号に掲げるものを被保険者が負担することによって生じる損害に限ります。
(1) 法律上の損害賠償金
(2) 争訟費用

従って,会社役員が損害賠償請求を受けたことによって生じた損害であっても,法律上の損害賠償金・争訟費用以外の損害は保険金支払いの対象とならない。

第1款 法律上の損害賠償金

「法律上の損害賠償金」は普通約款3条5号により次の通り定義されている。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(5) 法律上の損害賠償金
法律上の損害賠償責任に基づく賠償金をいいます。ただし,税金,罰金,科料,過料,課徴金,懲罰的損害賠償金,倍額賠償金(これに類似するものを含みます。)の加重された部分ならびに被保険者と他人との間に損害賠償に関する特別の約定がある場合においてその約定によって加重された損害賠償金を含みません。

「法律上の損害賠償金」とは必ずしも判決により支払が命じられた賠償金に限られず,和解,調停,示談等により支払義務が認められた賠償金でも良い。
和解条項などにおいて,会社役員の法的責任があるか否かを必ずしも明らかにしないままに「解決金を支払う」等として玉虫色の決着を図ることがありうる。
このように,債務負担の名目が「損害賠償金」でない場合であっても,会社役員が法律上の損害賠償請求を受けたことをその負担の契機とするものであって,損害賠償金を支払うことと実質的な同一性が認められる場合には「解決金」その他支出の名目にかかわらず「法律上の損害賠償金」に含まれるものと解される。
ただし,和解・示談による解決を図る場合は,予め保険会社の書面による同意を得ておく必要があり,その同意がない部分については保険金が支払われないものとされている点に注意する必要がある(普通約款22条3項)。
「法律上の損害賠償金」には,税金,罰金,科料,過料,課徴金,懲罰的損害賠償金,倍額賠償金(これに類似するものを含む。)の加重された部分は含まれない(普通約款3条5号但書)。
懲罰的損害賠償金,倍額賠償金(これに類似するものを含む。)とは,被害者が現実に被った損害額以上に負担すべき賠償金であり,典型例としては米国各州で広く導入されているものである。
現実の損害額以上の負担については悪質な加害者に対する制裁という意味が含まれているものとされている(※ その他の現実的な意味として,損害賠償金を獲得した場合に弁護士に支払うべき成功報酬は相手方に請求することができないことからこの報酬にあてる金額を確保するという意味もあるものとされる)。
懲罰賠償のような被害者が現実に被った損害額を超える賠償金支払いを認める制度はわが国では採用されていないが,D&O保険は全世界を担保地域とすることを原則的形態であると想定して開発されていることから,懲罰賠償制度のようにわが国の法制度上存在しないものも前提とした約款になっている。
悪質な加害者を制裁することにより将来的な加害行為を抑止するという意味合いを持つ懲罰賠償金等が保険によりてん補されるというのでは,懲罰賠償金の加害行為の抑制機能が阻害されてしまうことから,米国においては懲罰賠償金をてん補する保険約款は無効ではないかという議論がなされ,実際にこれを無効と判断する裁判例も現れたようであり,このような事情から賠償責任保険の取扱上は懲罰賠償等に基づく実損害額を超える部分の損害賠償金は保険金支払対象外とされるのが一般的取扱いである。
D&O保険の約款もこのような一般的な取扱いに倣って作成されたものである。
なお,わが国の一般的な賠償責任保険の約款には懲罰賠償等を保険金支払対象外とする定めはないが,これは担保地域が日本国内であることを前提としているためこのような定めが不要だからである。
次に,「法律上の損害賠償金」には,被保険者と他人との間に損害賠償に関する特別の約定がある場合においてその約定によって加重された損害賠償金は含まないものとされている(普通約款3条5号但書)。
例えば,会社が取引先との間で何らかの取引契約を締結する際に,この取引が原因で取引先に損害が生じた場合には会社役員個人が無条件でその損害を賠償する旨の約定をした場合において,この約定を根拠として当該会社役員個人が損害賠償請求されるケースを想定すると,この約定がなくても法的に損害賠償責任が認められる部分については保険金支払の対象となるが,それを超えて約定に基づいて損害賠償責任が認められる部分については保険金支払の対象外ということになる。
このような約定による加重部分についても保険金が支払られるとすれば,保険で損害てん補されることを見越して安易な約定が結ばれるというモラルハザードが生じるおそれがある。
また,かかる約定の内容は千差万別であるから,同種リスクを多数集積することで全体の収支安定を図ろうとする保険制度になじみにくい。
そこで,このような約定による加重部分については保険金の支払対象外とされるのが賠償責任保険の一般的取扱いである。

第2款 争訟費用

「争訟費用」は普通約款3条6号により次の通り定義されている。

(用語の定義)
第3条 この約款において,次の各号に掲げる用語は,それぞれ以下の定義に従います。

(6) 争訟費用
被保険者に対する損害賠償請求に関する争訟(訴訟,仲裁,調停または和解等をいいます。)によって生じた費用(被保険者または会社の従業員の報酬,賞与または給与等を除きます。)で,当会社が妥当かつ必要と認めたものをいいます。

損害賠償金の他,争訟費用も保険金支払対象とされるのは賠償責任保険における一般的取扱いである。
争訟によって生じた費用とは,一般に裁判所等に手数料として支払う印紙代,郵券代,弁護士に支払う報酬,訴訟の準備のために要した調査費用等の出費などが考えられる。
ただし,被保険者または会社の従業員の報酬,賞与または給与等は支払対象外であるから,訴訟準備のために会社の従業員を使用して資料作りをし(※ このようなこと自体がそもそも法的に認められるかどうかは問題となろうが,ここでは論じない),そのために従業員に残業代が生じたようなケースでは,この残業代は保険金支払の対象外ということになる。
また,保険金支払対象となるのは,保険会社が妥当かつ必要と認めたものに限られる。被保険者の支出に対して保険金を支払うにあたり保険会社の承認を求める取扱いは賠償責任保険の一般的取扱いでありD&O保険だけの特別扱いではない。
このような限定が設けられた趣旨は,保険金でまかなわれることを前提として,費用対効果を省みることなく無制約に訴訟のための出費がなされることを防止する点にある。
もっとも,保険会社の承認が保険会社の全くの自由裁量に委ねられるならば明らかに不当な結果が生じるのであり,承認が必要とされた上記の趣旨に照らし,争訟費用の支出が当該争訟の内容に応じた合理的なものである限り保険会社はこれを承認すべき義務があるものと解する。